葵千小説(翼さん) - 3/4

selfy × selfy side.葵

『君じゃなきゃダメみたい』

 

 

フラれた

完膚無きまでにフラれた

 

『イブ要員』にうまいことあてがわれたのだろう。
やることだけやって、さも当然とばかりに返品された。

寒風吹きすさぶ路上で、葵は「けっ」と悪態をつく。

道すがら、スマートフォンが何度か鳴った。
なんともみじめな誕生日となったが、0時オクロックに届いた友人たちからのメッセージは、少なからず心を癒した。

(お前は何もなしかよ)
ピンク色の金魚のアイコンは、トーク一覧のずいぶん下で、シンと鎮座している。

 

それは、ほんの気まぐれに。
とはいえ、葵がここへ立ち寄るのは一度や二度ではなかった。

留守にしているのかもう寝ているのか誰かといるのか一人なのか。

(やってることはストーカーと一緒じゃねえか)

灯りの付いていないその家を見、自嘲じみた苦笑いがこぼれた。ふと、裏手の校舎を見やると、窓ごしに何かぼんやりとした灯りが漂うのが見えた。

「人魂? なわけねーか」

人魂にしては、動きが人間然としている。
不審者を疑うが、盗むものなど何もないしそもそも校舎には鍵がかかっているはずだ。
そして、それを持っている人物は限られている。

ここまで考えて、都合のいい期待が葵の頭をよぎった。

意図せず早足になる。昇降口へたどり着く頃にはほとんど走っていた。
神様なんぞ信じていない。それでも、祈る思いで扉に手をかける自分はごまかせなかった。

なんなく扉を開ければ、床には小洒落たブーツがそろえられていて、神様の存在をにわかに信じた。
心拍数がひとつ上がる。

あいつのものだと決まったわけではない。
「不法侵入者ならとっ捕まえないとな」
鍵で入って靴をそろえる不審者がいてたまるか。

予防線のように、言い訳のように、葵はひとりごちた。

校内へ足を踏み入れようとした時、

―神聖な母校に土足で入るなんてどういう了見よ!

と叱責する声が脳内に響いた気がした。

「しゃあねえな」

ブーツの主にならい、隣に靴をそろえる。
見れば、自分の靴箱にも、あいつの靴箱にも、親友たちのそれにも、見たことも聞いたこともない名札が貼られていた。

世間ではこの感情を〝寂しい〟と呼びのだろう。
認めたくはないが、それ以外の言葉はどうにも当てはまらなかった。

あの頃が一番よかったとは思わない。
友人は増えたし、あいつよりいい女なんていくらでもいた。

―なんか違うんだよね
―葵君って、どこか違う人を見てる気がする

今しがた言われたばかりの言葉が脳をよぎった。

「ったく、なんだってんだよ」

ため息まじりに階段を上がる。
一段ごとに、クラスメートたちと駆け回った日々を思い出す。

思えば、とんでもない青春時代だった。
一生徒、しかも転入生の家族の遺産で成り立っていた学園生活。ぎゃあぎゃあと騒ぎまわった思い出の中にも、ぽつりぽつりと憂いの刺すあいつの表情が浮かぶ。生徒会長として、理事長として、重責もあっただろうが、あの頃の自分にはそれを支えるほどの力も器量もなかった。今の自分にならあるのかと言われれば、それはそれで否なのだが。

(そういうのは秀一の分野だよな)

最後の段を上りきったところで、思わず心臓が飛び跳ねた。
わずかに、女のすすり泣くような声が聞こえる。
怪談は得意でも、実際自分の身に降ってかかるとなると話は別だ。
それもつかの間、すすり泣きが泣きわめくような声に変わった。
『わーん!』と丸っこい文字で擬音化できそうなほど幼い泣き声に、肩の力がどっと抜ける。

聞き覚えの有りすぎる声だった。

教室を静かに覗く。
心拍数がもうひとつ上がる。

千歳は、たしかにそこにいて、そして、泣いていた。

けれど、久々の再会に自分になにができるというのか。
ハンカチを差し出そうにも、もう既に自分のそれで涙をぬぐっている。

「どうした?」と声かけるのも、柄ではない。
まして、抱きしめて髪を撫でてやる資格も度量もない。

このまま立ち去ろうと一歩足を引いたところで、千歳が何かを呟いた。

言葉は聞こえずとも、後悔のような内省のようなその表情と声質に、なぜだかこちらが泣きそうになる。
気が少しゆるみ、足元でぎしりときしんだ音が鳴った。

「何?」

おびえた顔の千歳が、こちらを見、そして葵を認識した。
その大きな瞳がさらに大きく見開かれる。幽霊を見た時よりも驚いているのではないだろうか。
ひとまず、葵は自分が幽霊でも幻でもないことを証明するべく、ここへ来た経緯をペラペラと軽口に話した。千歳は自分の胸に手を当て、たじろいでいる。

「なんでこんな日に、一人でいるのよ。マグカップの彼女はどうしたの?」

相変わらずの高飛車な口調は、少し涙声だった。

(やっぱ、見られてるよな)
葵は、心の中で舌を打った。彼女、いや元彼女が勝手に設定したきり、自分で元に戻そうものなら「なんで変えたの?」と騒ぐのでそんな攻防も面倒になり、そのままにしていたあのアイコンのことだ。

葵は、戯言のように自分の破局話を語り、そして、自問するように言った。

「『なんか違う』らしいぜ」
「何が」
「そんなの俺が聞きてーよ」

わかってる。

そう、今わかった。

「『葵君は誰か違う人を見てる』んだとよ」

言葉にすれば、自分の中で答え合わせが終わり、どこかすっきりとした気分にすらなった。

一方釈然としない様子の千歳に、適当な理由を付けてスマートフォンを手渡す。なぜそんなことをしたのかは説明がつかない。なんとなく、そうさせたほうが、いい気がした。

「しょうがないわね」
と言って画面を操作する横顔を、頬杖をつきながら眺めた。暗がりの中、無機質な灯りに照らされるその顔は、端的に言えば……いや、言いたくない。

 

 

あの頃も、こうして横顔を覗いた。

花があれば目をやるように、
虹が出れば仰ぐように。

ほとんど無意識だった。

 

そうだ。
懐古だろうとなんだろうと

あの時、たしかに

 

― 俺はお前が好きだった

 

 

「ねえ」
千歳の声に、過去へ飛びかけていた意識が戻る。
「画像は、自分で選んで」
自分の元へ戻ってきたスマートフォンを操作し、ある画像を選んだ。

少し幼い自分の顔。狭い画角に詰め込まれるように、自分にぴたりと寄り添う金色が愛おしかった。

(そんなポーズ、しなくてもかわいいのに)
などと言える性格なら、俺達の関係もまた違ったのだろうか。
そんなことを考える。

心の内とはいえ、柄でもないセリフが面映ゆく、頬が緩む。
気も緩み、勢いそのままにピンク色の金魚のトーク画面を開いた。

『すきだ』と入力すれば、サジェスト機能によっていくつかのスタンプが表示された。
どれもこれもがハートマークをばらまいている。

(そんなにやたらとばらまくもんじゃないぜ?)
誰に言うともなしに、心の中で苦く笑う。

そして、そのうちの一つ。どういうわけだか神妙に頭を下げ礼を言っている謎の生き物のスタンプがあったので、それを選び送信する。

千歳は、今日初めて、笑った。
心がざわつく。

手を差し出してみる。
どんな反応でも良かった。
こいつが、あの頃のように自分の挙動に対してあたふたと翻弄される姿を見れば、このざわつきにも片がつくのだと葵は信じた。当然、千歳はプレゼントなど持ち合わせていない。しかし、かわりにとんでもない爆弾を落とした。

「会えるなんて思ってなかったんだから」

その言葉に、思わず顔に熱が集まりそうになる。

「〝会える〟?」

言葉を反復すれば、千歳の顔は葵以上に赤くなり、それは何よりのプレゼントとなり得た。
すると、千歳は事もあろうに葵の手にその手をパシと乗せた。

(ちいこい手)

思わず口にしそうになり、意図的に口を結んだ。そのまま手をぐいとひっぱられ、転ばないようにするためには立ち上がるしかなかった。

「千歳?」
驚きを隠せず唖然とする葵の手を取り、千歳は構わず歩き出す。

「こんなに冷えて、風邪でもひいたらどうするのよ」
言いながら、引きずるようにして教室を出、後ろ手に扉を締め、廊下を進んだ。

「イブと誕生日の狭間に振られた哀れな葵ちゃんの話を聞いてあげるって言ってるのよ」

一歩先を歩く千歳の顔を、廊下の窓ごしに覗けば、何か覚悟と恥じらいとをまぜこぜにしたような表情をしていて、――こう言ってはまた怒られるかもしれないが、少し笑えた。

「なによ?」

案の定、千歳がむくれた顔で、前を向いたままぶっきらぼうに言った。

「いや、あのさ」

千歳は、ひとつ勇気を出したのだと、容易に察しは付いた。

据え膳を頂くのも、こいつの優しさに甘えるのも、それはそれでやぶさかでは無い、
『それはさすがにどうなんだ?』と、友人が、心の中で苦言を呈してきた。

(わぁってるよ)

こんな時くらい説教は勘弁してくれ、親友よ。

千歳の手を一旦放し、そして今度は葵が千歳の手を包んだ。

「ちいこい手」
口にすれば、千歳の顔はこれ以上ないほどに赤く染まった。ぷいとあちらを向いてしまったので、かがんで顔を覗き込むと、千歳は「うう」と、言葉にならない声をもらした。

「あのさ、」

再び口を開けば

「あの写真撮った時、」

千歳の手に力がこもり、言葉の続きを促す。

 

「結構好きだったぜ、お前のこと」

 

千歳の瞳に、急速に涙がたまっていく。

我ながら情けない告白だ、と思う。

「なんで過去形なのよ」とか「さっきまで彼女といた人に言われたくない」とか「やっぱり今日はもう帰って」とか、そんな憎まれ口を覚悟していると、千歳は静かに口を開いた。

「…ばか……」

在校中、何度聞いたかわからない言葉が、悔しきかなこの時ばかりは正直かわいいと思わざるを得なかった。

そして、気づけば、そうしていた。

熱を持った千歳の唇は、今まで食べたどんなケーキよりも甘く柔らかかった。
金色の髪を押さえつけるように撫で、本能のまま唇を食めば、千歳の体から、くてんと力が抜けていく。
唇の隙間に舌を差し入れると、千歳はなんなくそれを受け入れ、抵抗するどころか控えめに舌を伸ばし応えてきた。

「そんなこと、どこで覚えたんだよ」
無性に腹が立つ。
「自分だって」
唇の隙間から千歳がこぼした。

この唇に、いや、もしかすればこの身体に触れた男が存在することが許せなくなって、息継ぎも惜しく千歳の唇を貪った。「待って」とか「苦しい」と訴える声は無視した。

― 俺の知らないところで大人になってんじゃねえよ

抵抗を見せはじめた千歳の両手を取り壁へ押さえつければ、いよいよ逃げ場を無くした千歳は、涙声のような吐息をもらして脱力した。酸素の限界か、腰の力が抜け廊下にぺたりと座り込んだのは好都合だった。
手を千歳のコートのくるみボタンにかけ、一つ二つと外したところで、はたと手が止まる。

(いや、さすがに、ダメだろ)

自分の右手首を左手でグ、と抑える。
本能と理性が、激しく葛藤する。
そして、左手が、どうにか辛勝した。

「悪い」

のろのろと立ち上がり、座り込んだままの千歳に手を伸ばす。潤んだ瞳でこちらを睨む千歳と目が合わせられない。

「悪かった」

もう一度謝罪の言葉を口にする。
そして、こんな強引な行為に及ぶこととなった心持ちを、恥を忍んで正直に吐露すると、千歳の表情は少し穏やかになった。

しばしの沈黙が続いた後、千歳は今度はその瞳に少し不穏な輝きを宿らせ、「つまり、ヤキモチやいたってこと?」と冗談めいて言った。

「自分を棚にあげるにも程があるわね」
その声質が、よく知った高飛車なものへと変わっていく。

「だから、悪かったって」
三度目の謝罪を言葉にすると、千歳は葵の手を取り立ち上がった。
千歳の足元がよろけたので反射的に肩を押さえて支えてやる。瞬間、背をぎゅうと掴まれる感触に、今度は葵のほうがたじろいだ。

肩に置いた手を、きしんだロボットのような固い動きで千歳の背に回す。
千歳は「私だって」と消え入るような声で囁いた。

「私だって、好きだった」

鼓膜が震えるのと同時に、全身に沸き立つような熱が走る。唇を奪ったときよりもよほど熱くこみあげる想いに行き場はなく、千歳の身体を強く抱きしめた。

「……決めました」

思わず敬語になったのは、動揺と覚悟と歓喜が混ざり、まとまらないまま口から出たからだ、と思う。

「なあに?」
いつになく甘えた声が腕の中から聞こえ、先の感情のうちのひとつ、〝覚悟〟が砕けそうになったので、千歳の背に回した手を強く握りしめ、爪を立ててこらえた。

「今日はお前に手をださない」
「なっ、なっ、何いってるのよ!」
千歳が腕の中で暴れ出し、ばか! えっち! 変態! と次々に喚くので、腕に力をこめて動きを封じた。
力では勝てないことを悟って観念したのか、しばらくすると千歳はやがて体の力を抜き「意味わかんない」と投げやりに零した。

こんなに良い夜に、他の女に触れた手で千歳に触れるのは御免だった。

大事にする、とか、お前は特別だ、とかそんなセリフが言える性格なら、俺達の関係は違っていただろう。
けれど、そんなことを考えても仕方がない。

俺はこういう性格で、千歳だってこの通りだ。
だからこそ、あの時は叶わなかった想いが、今日こうして結ばれた。

(それで十分じゃねえか)

腕の中へ「好きだ」と伝えた。
その声質が自分でも信じられないくらいに柔和だったので、思わず笑みがこみあげる。

 

廊下に差し込む月明りは暗明を繰り返している。
これほど速い雲の動きだ。もしかしたら雨が降るのかもしれない。

 

降るなら降れ、と思う。

 

 

selfy × selfy side.葵

『君じゃなきゃダメみたい』

end

 

 

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