selfy × selfy/君じゃなきゃダメみたい
『selfy × selfy』
-どう考えても飲み過ぎたわ
マフラーに顔を埋める。足はもつれ、ふらついた。
クリスマスパーティーよろしく開催された大学サークルの飲み会に、私も出席しない理由はなかった。
別に彼氏がいないから、というわけでも、一人でいたくないから、というわけでもない。人付き合いは大切だから。
しかし、飲み会とは不思議なもので、行くまでは億劫でも行ってしまえばそれなりに、いや大いに楽しめて、ついついお酒も進んだ。イブの日だというのに暇な人は案外多いもので、なかなか盛況な飲み会になった。送っていこうか? と声をかけてくれる男子だっていた。
(私だって、別にモテないわけじゃないんだからね!)
誰に聞かせるでもなく、心の中で訴える。
その男子の申し出は、少し悩んで丁重にお断りした。今日は、一人で歩きたい気分だった。
イブの夜に酔った男女だ。送迎を承諾すればその後二人がどうなるかわからないほど、私は子供ではない。
帰路を少しだけ外れて歩く。
勝手に足が向かっていた。
卒業と同時に私が理事長を退任してすぐ、新田舎ノ中学はものの見事に廃校となった。
降って湧いた、自分の努力で得たわけでもない金銭で成り立っていた学校だ。
あるべき姿に戻ったといえばそれまで。
土足で入るのは気が引けて、玄関口にあるスリッパを床にポトリと落として足を通す。
ひんやりとした感触が足の裏に伝わる。
履いてきたショートブーツを靴箱に入れようとしたところで手が止まった。
(別に居場所を取ってやろうってわけじゃないのよ)
名前の主に小さく謝り、ブーツは床に置いたままにした。
夜の校舎は不気味と言えば不気味だけれど、どの廊下にも、どの階段にも、学友たちと騒ぎ走り回った思い出が染みついていて、不思議と、怖いという感情は湧かなかった。
窓から差し込む月灯りを頼りに教室へ進む。雲が月を隠せば足元がおぼつかなくなり、スマートフォンをライトがわりに取り出す。ついでに、メッセージアプリの通知が表示されていたので、開く。
見なければよかった。
『今日 誕生日の友だち』
その画面に、ここ最近なるべく見ないようにしていたアイコンと名前が浮かんだ。
そのアイコンの、女性の部屋と思しき場所で撮られたペアのマグカップの写真に、私は苦笑いをこぼすほかなかった。
「まさかあいつがこんなのをアイコンにするなんてね」
一人ごちた声は、むなしく廊下に響いた。
(その子のこと、大事にしてるのね)
開いた扉は、ギシリときしんだ音を立てた。
閉めるのも億劫で、そのまま一直線に一番後ろの席に向かい、椅子を引いて着席する。
机の上にスマートフォンを置き、自傷にも似た感覚で、マグカップの写真を開いては閉じ、開いては閉じる。
そして小さな声で呟いた。
「誕生日、おめでと」
メッセージアプリを閉じ、そのまま手癖のように写真アプリを開いて、お気に入りフォルダを展開した。
それは、高校に進学してすぐ。
わぴこが『制服で写真を撮りたい』と言い出して、スマートフォンをかざした日。
彼女の短い腕では四人全員が画角に収まりきらず、葵と北田くんが「どっちの腕が長いか対決」を繰り広げ、結局、少しズルをした葵が撮影係となった。
「このポーズ、なつかし」
再び苦笑いがこぼれる。小顔効果をねらって頬に当てた手がどこか滑稽だった。
頭上には、細い2本の指がまるで角のように生えている。
「ついに鬼の本性が表れたな」と葵が舌を出し、わぴこと北田くんが笑い、そして私も、怒ってから、笑った。
―この時が一番よかった
なんて懐古的なことは思わない。
友人なら、恋人なら、更新してきた。
けれど、もう戻らないこの日々のことを思うと、どこか寂寥感が私を刺し、それは、窓から吹き込む隙間風のせいなのだと自分に言い聞かせた。
ふいに、画面に水滴が落ちた。
「え……?」
画面を指で拭えど、水滴は次々と落ちてくる。
「やだ、飲み過ぎたわね」
泣き上戸なつもりはない。
ぬぐってもぬぐっても止まらない涙に、私は戸惑った。そのうちぬぐうのも面倒になり、開き直って思い切り泣いた。
この場所は、自分に一番素直でいられた。
一つの感情を除いては。
「好きって、言えばよかった……」
ひとしきり泣いて、収まってきた涙をハンカチでぬぐう。
その時、廊下から聞こえた物音に、肩がびくりと震えた。
「何?」
反射的に立ち上がり、扉のほうを見る。
開けっ放しにしていた扉の向こうに立つ人物を見て、私はこれ以上ないほどに目を見開いた。
「嘘……」
扉の向こうにいたのは、あの写真で私の頭上に指の角をはやした張本人だった。
聞けば、きまぐれに校舎へ立ち寄ったところ、昇降口に〝お前っぽい靴〟があったので教室まで来てみた、と言う。教室に私がいるのが予想できていた分、葵はさほど驚いた様子はなかった。
かわりに、私の心臓はバクバクと飛び跳ねる。
教室のほぼ対角線上にいる彼の耳にも、この鼓動が聞こえてしまうのではないかと気が気ではなかった。
そんな私にお構いなしに、葵はズンズンと私の元、いや、彼の席へと向かってくる。
心臓の音をごまかすかのように、私は話題を、会話を探った。
「なんでこんな日に、一人でいるのよ。マグカップの彼女はどうしたの?」
葵は無遠慮に椅子を引き、どさりと腰をかけて頭の後ろで手を組んだ。
椅子がぎしぎしと音を立て、倒れそうで倒れない絶妙なバランスで揺れている。
「ふられたてほやほや」
冗談めいた口調で、葵が言った。
「勝手だよな。あっちから告っといて、イブが終わったらポイだぜ」
傷ついた様子は見えない。どちらかと言うと、自分の破局すら楽しんでいる感がある。
「どうせあんたのことだから、デート代をけちってふられたんじゃないの?」
葵は、ちちち、と人差し指を振り、「もうあの頃の葵ちゃんではないのだ」と言った。きっと、親友の仕草の真似だろう。
「『なんか違う』らしいぜ」
「何が?」
「そんなの俺が聞きてーよ。『葵君は誰か違う人を見てる』んだとよ。なんだよそれ心霊現象か?」
いぶかしんだ顔で葵が言った。葵の表情がはっきりと見えるのは、そういえば、彼がトレードマークを装着していないからだということに今更ながら気づく。
「ちなみに、この理由でふられたの三回目な」
もはや呪いだな、と葵は笑った。
「あ、そうだ」
と言って葵がスマートフォンを取りだした。
「これさ、変えてくんね?」
「え?」
差し出された画面には、私がさっき開いては閉じしていたあのマグカップの画像があった。
「勝手に変えられたきり、やり方がわかんなくてよ。別れたんだしさすがにもう変えていいだろ」
頼む、と葵は差し出したスマートフォンをぐいと私の方へ寄せた。
「しょ、しょうがないわね」
葵の手から受け取り、画面を操作し編集画面へ進む。
(喜ぶな、にやけるな)
自分に言い聞かせながら、操作を進めた。
「画像は、自分で選んで」
さすがに人様の画像フォルダを覗く勇気はなく、その直前で葵へスマートフォンを戻した。葵は小さく礼を言うと、「どれにすっかなー」とぶつぶつ言いながら指を滑らせている。
「おし、これでいい」
さほど時間をかけずに葵が言った。画面を滑らせていた指の動きが、今度は弾くように変化し、しばらくすると、私のスマートフォンが軽い電子音を立てた。
通知のままに画面を開けば、何の動物かもわからないへんてこりんなスタンプが、敬語でお礼を言っていた。
私に敬語なんて使ったことないくせに。
その違和感に、私は思わず吹き出した。
そして、発言主を表す〝丸〟の中には、舌を出した端正な顔があった。
目の前にいる張本人より少し幼い。
五年前に撮った写真を葵がなぜこんなにすぐに選べたのか、私には見当もつかない。
つい今しがた穴の開くほど見ていた写真なのに、それが葵のトーク画面上に表れれば、その〝丸〟が妙に愛おしく見えた。指で触れれば、画面いっぱいに葵の顔が表示される。
すると、画像が正方形に枠取られて表示されたことによって、丸型の枠では見えていなかったものが、葵の顔の右斜め下に現れた。
「……ねえ、これ、大丈夫なの?」
「何が?」
「あんた一応モテるんでしょ?こんなの、匂わせとかなんとか、また変ないいがかりがつくわよ」
明らかに女性とわかる髪、―つまり私の髪なのだけれど―が、まるで葵の所有物であるかのような距離感で写りこんでいた。
葵は私が差し出した画面をしばらく見、「ああ」とようやく意味を理解したようだった。
「まー、いいわ。虫よけ?ってやつだな」
と言うと、葵はニ、と笑って画面に視線を落とした。
それもつかの間、
「ん」と言って手を出してきた。
指先がすこしかじかんで、冷えていることが見ただけでもわかる。
「なに?」
「俺、今日誕生日なんだけど」
「な、用意してるわけないでしょ。会えるなんて思ってなかったんだから」
ポケットを探れど、飴玉一つ出てこない。
「〝会える〟?」
葵が、私の言葉を意味深に復唱した。
途端に顔が熱くなるのが、自分でもわかった。これだけ熱を持っていれば少しくらい分けてもいいのでは、と思った。きっとそれほどに、私は酔っていた。ということにした。
差し出された手の平の上にパシと手を乗せ、そのまま葵の手を引いて立ち上がらせる。
「千歳?」
「こんなに冷えて、風邪でもひいたらどうするのよ」
本音でもあったし、建前でもあった。
「プレゼントはないけど、温かいお茶くらいはごちそうしてあげる」
葵が瞠目して私を見た。けど、構ってあげない。
「イブと誕生日の狭間に振られた哀れな葵ちゃんの話を聞いてあげるって言ってるのよ」
葵の手を引いたまま、廊下をズンズンと進む。
自宅までは歩いて数分。
イブの日に、初恋の手を引く。
これから私は彼を家に招く。
そんなことをすれば、その後二人がどうなるかわからないほど、子供ではない。
『selfy × selfy』
end